小児がんとがんゲノム医療
ゲノムって?
体の細胞を作るための設計図はDNAの中にあり、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)の4つの物質を使い、ATGCの4文字を使った暗号のように書きこまれています。DNAは約30億文字で書かれている長い暗号ですが、染色体の中に「二重らせん」の形で折りたたまれ、細胞の核の中にしまわれています。この設計図を基に細胞が作られ、細胞が集まってひとの体ができています(図1)。
DNAに書かれた設計図には、細胞を作るための様々な材料の作り方が書かれており、その材料の一つ一つが「遺伝子(gene:ジーン)」です。ひとの遺伝子は全部で約2万~3万個あり、DNAには遺伝子の作り方に加えて、「それぞれの細胞で、どの遺伝子をどのように使うか」も書かれています。
「-ome」という語尾をつけると、「・・の全体」という意味になるため、遺伝子の構造とその使い方を含めたこのような「細胞の作り方」に関わる情報の全体のことを「genome:ゲノム」と呼びます。
がんとゲノム
細胞の増える量は体の中で厳密に制御されています。細胞が分裂して増える過程で、設計図であるDNAをコピーし、新たな設計図を使って新しい細胞を作ります。生体のコピーはとても正確ですが、まれに間違いが起こることがあります。間違いのある設計図を基にして作ることで、過剰に増えるような「間違い細胞」ができてしまうと、がん細胞になることがあります。
つまり、がん細胞は、ゲノム異常によって起こるもの、と考えられます。
ゲノム医療って?
がん細胞はゲノム異常で起こるものなので、がん細胞が持っているゲノム異常はその性質と関係しています。そのことを診療に応用するのが「ゲノム医療」です。この「がんゲノム医療」をさらに進めるために、国の施策で「がんゲノム医療提供体制」の整備が進められています。
その一環として、がんの患者さんのがん細胞におきている遺伝子の異常を調べ、最も効果的な治療を選ぶ「遺伝子パネル検査」が保険収載となり、新聞などの報道でも大きく取り上げられました。
小児がんへのゲノム医療の応用
がん細胞はゲノム異常で起こるものなので、がん細胞が持っているゲノム異常はその性質と関係しています。そのことを診療に応用するのが「ゲノム医療」です(図2)。
図2
小児がんは抗がん剤が有効なものが多いため、正確な診断に基づき、予後の予測を行い、適切な抗がん剤の種類と量を選択することが治癒率を高め、さらに合併症を最小限にとどめるためにとても重要です。また、ゲノム異常によっておこる変化そのものを狙い撃つ薬剤(分子標的薬剤)も開発されるようになり、ゲノム異常を直接の治療標的として利用することも可能になりました。
小児がんを含んだ様々ながんの診療において、遺伝子検査を行うことは以前から行われており、治療法の改善をもたらしてきました。しかし、がんの研究や情報の集積が進み、「〇〇がんなら遺伝子Aを検査」だけであったのが、「〇〇がんなら遺伝子Aと遺伝子Bと遺伝子Cと・・・」と検査をする対象の遺伝子がどんどん増えるようになりました。
これらの遺伝子をひとつひとつ調べる従来の技術では、たくさんの遺伝子を検査するには大変な時間と労力が必要でした。しかし、ゲノム解析技術が進み、同時にたくさんの遺伝子を解析することが可能な「次世代シークエンサー」という手法が開発されました。この技術を用い、一度にまとめて100個以上の遺伝子を解析し、それぞれの遺伝子の異常の有無を知る検査法が「パネル検査」です(図3)。
現在、保険診療に用いるものとして国内で認可されているのはまだ2つだけですが、いずれも100個以上の遺伝子を対象として解析することが可能です。
図3
ゲノム医療に必要なエキスパートパネル
次世代シークエンサーを用いたパネル検査はまだ新しい技術なので、その解釈にはがんに関するゲノム解析の専門的な知識が必要です。また、大量のデータを扱うため、コンピューター解析による生体データを用いることに習熟した専門家の支援が必要です。このような体制を整備したものが「エキスパートパネル」であり、がんゲノム医療中核拠点病院(全国に11か所)や、がんゲノム医療拠点病院(全国に34か所)に設置されています。
患者さんがそれぞれの施設(がんゲノム医療連携病院)で検査を受けると、拠点病院のエキスパートパネルで検査結果のレポートが作成されます。レポートには、見つかった遺伝子変異の意義や、治療標的とする薬剤の有無などが含まれ、患者さんは担当医からレポートをもとに結果の説明を受けることになります。
遺伝的な背景が見つかる可能性
がん患者の大部分では、がんは偶然の確率で発症するものですが、一部には、家族性にがんを高率に発症する遺伝性腫瘍症候群(リ・フラウメニ症候群など)を背景として発症することがあります。
ただ、がん研究の進歩により、このような症候群と診断されていなくても、がんの発症に影響する遺伝的な体質により、がんになる確率が相対的に高くなることが明らかになってきました。このような遺伝的な体質をもたらすDNAの配列(ATGCの文字)の違いは、「病気」というよりも「体質」として理解されるような影響度であり、「異常」や「変異」という言葉がそぐわないため「バリアント」と呼ばれます。
パネル検査はがん細胞の持つ遺伝子の異常を検出する目的で行われますが、多数のがんに関連する遺伝子を検査することで、がん細胞ではない正常な細胞が持っている本来の設計図のバリアントが検出されてしまい、がんの発症に関する遺伝的な背景(遺伝性腫瘍である、など)が分かることがあり得ます。このような遺伝的背景を持つ方は従来の想定よりもずっと多いことが分かってきており、「異常と正常」「病気と体質」などの境目があいまいになっています。特に小児期にがんを発症した患者さんでは、少なくとも4-5%以上でこの遺伝的背景を持つことが報告されています。
遺伝性腫瘍の可能性を知ることで、健康管理に役立つこともありますが、がん細胞の性質を調べるという本来の目的ではない付加的な情報です。「知らなくてもいい権利」もあるため、このようながんに関する遺伝的な背景についての情報があった場合に、知りたいのか、知りたくないのか、を事前に考えておく必要があります。お子さん自身にも、「知る権利」と「知らなくてもいい権利」があることも尊重しなければなりません。そのような判断の支援を行うことや、実際に見つかった場合の対応を行うために、遺伝カウンセリングなどの体制についても整備を進めています。
小児がんとがんゲノム医療
これまでに述べたように、がんの診療においてパネル検査を中心としたゲノム医療が実装される段階に到達しました。小児がんの領域でもこれまで行っていたゲノム医療をさらに充実させ、いい治療法を開発していくことが期待されます。現在承認されている検査は主に成人の固形がんを対象としたものであり、小児がんのゲノム検査にはまだ不向きな点があります。そのため、国立成育医療研究センターでは、日本小児がん研究グループ(JCCG)や、日本小児血液・がん学会、国立がん研究センターと連携してワーキングチームを構成し、「小児がんに最適なパネル検査」の開発に向けて取り組んでいます。